槍が降ってもアメコミが読みたい。

アメコミの感想ブログです。

ファン・ホーム ある家族の悲喜劇

こんにちは。ドロです。

今回ご紹介するのは

『ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』

です。

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⚫︎アイズナー賞優秀賞ノンフィクション賞受賞

⚫︎全米批評家協会賞 最終候補作品

⚫︎文化庁メディア芸術祭漫画部門最優秀賞受賞

 

数々のメディアがその年のベストブックと賞賛!…と大絶賛の帯付きの本作。

 

今回のレビューにはヒーローもヴィランも登場しません。括りもアメコミというよりはアメノベ?笑

確実にコミックではあるんですが、「読了した」と言う感触が強く、ノベルに近い存在ですね。

故に、普段から私のレビューをご覧になってくださる方には少々退屈に感じてしまうかもしれません。

それでも私には非常に興味深い作品でしたし、新たな見地が拓けた…気がします。

逆を言えば、ヒーロー?ヴィランなんて方には単純に私の文章を読んで頂ける機会でもありますね。

原作を読んでいただきたいのは勿論ですが、本作品が原作となり本年2月にはミュージカル化が決定しております。今回のレビューはその足掛かりにでもして頂ければ嬉しく思います。

 

『私が本誌を読めたワケ』

 

私は普段から文学に親しいわけではないですし、あまり積極的であるとも言い難いのですが、本作はみるみるうちに世界の中に入って行くことができました。気付けば60.70年代の洋楽をかけて、気分は当時の田舎のアメリカでした。

というのも、単純にカントリーといいますか、この時代のアメリカの田舎に原風景を見るんですね。大きな入道雲とけたたましい蝉の声、かんかん照りの太陽と青い空。昼下がりの牧草地帯に佇む大きな風車。少し離れて見える古めかしい木造の一軒家の納屋。少し乾いた風が吹いて、マスタングが4700ccのエンジンをドロドロと響かせる…。こんな感じが好きなんですよ。どことなく郷愁に駆られるというか。そんな「なんか心地よい世界観だな…」なんて軽い気持ちでページをめくるうちに、作者のアリソン・ベクダル氏の描く世界にグイグイと引き込まれていくのでした。

 

『アリソン・ベクダル』

 

この本は彼女と彼女の家族、特に父親との自伝という位置付けになるでしょうか。

どの家庭にもある程度ドラマはあると思いますが、私も然り、大抵の人が「俺と俺の家族の話をみたって誰が喜ぶんだ?」と我に帰ることでしょう。しかし、彼女の育った環境にはそんなことより「伝えたい想い」があったのでしょうね。私と違って文学と密接な関係にあった彼女は作中にも(伝記なので)沢山の文学作品を登場させます。その作品におけるメタファーであるとか、そもそも直接的に比喩をもちいて自らの人生を描いていますが、正直いって、ピンとこない!笑。いや、これは単純に勉強不足なんですが。

しかし、私と同じ状況になる人も少なくないはず。登場作品を今から読み漁る気は無いですから笑。ここらの心情表現はミュージカル版に期待したいですね。

 

『父と娘の物語』

 

何千回と使われたかわからないですが、この物語と核を成すのは、このサブタイトルで間違いないだろうと思います。

厳格で神経質、家具と文学。芸術に生きた父の話から物語はスタートします。

完璧な関係性ではないですが、愛の無い家族ではありません。

 

ぎこちなくて難しくて、理解できているんだかどうなのか、距離もよく掴めない。恐る恐る近づいてみては離れて。好きなんだか、嫌いなんだか。でも喋ってみたら嬉しくて。

 

 

さも、とてつもなく複雑な関係のように関係を描いていましたが、確かに特徴的な父親ではあるんですが、誰しもこういう時期はあるのでは無いでしょうか。

 

私も覚えがあります。小さい頃からゲームやイラストを描くのが大好きで、かたや父はあまりそういったことに興味がなくて、仕事に打ち込んでいて。2人でいると何を話せばいいのか困るような時期もありました。幼い頃は畏怖の対象でもありましたからね。

しかし、成長につれて父の分野にも興味がでてきたりして、教えてもらったり盛り上がったり。今は自分が昔に感じていた様な歪な距離感は無いかな、と笑。

 

主人公アリソンも成長につれて文学に目覚めて父親とその分野の話で盛り上がるシーンがあるのですが、どこか自分が重なる様で他人事な気はしませんでしたね。

 

ただ。それだけなら普通の親子劇ですよね。

私にも重なるくらいですから。

他とは決定的に違うこと。

それが発覚するのは、父親の死後でした。

アリソンの父、ブルースはトラックに飛び込み自死したのでした。

 

セクシャルマイノリティ

 

「父と娘の物語」が核を成す中のもっと奥。

そこに、この文字がありました。

結果を先に言ってしまうならば、娘アリソンはレズビアンで、父親ブルースはゲイだったのです。アリソンが自分がレズビアンだと自覚した後に父親が他界し、「実はお父さん…他の男の人と…」と母親から父親が男性と性的関係にあった事を聞かされるのです。

父親が同性愛者であったことと、早すぎる死を迎えた事がなければこの作品は生まれなかっただろうと思います。

物語の核の核を成す部分。

アリソンが自らと父親のセクシャル・マイノリティについて考える部分にあるのです。

読み終わって、この副題をつけて、今この文章を書いている時点で「いや、これの何が問題なんだ?特殊でこそあれ、普通の家族じゃあないか。」と考えたが刹那、死を選んだ父親の心境へと視点が向くのでした。

 

一般の家庭を築き、自身のセクシャルマイノリティを隠し生きてきた男の死は「幸福な死」であったのかと。アリソンは自らの環境、状態を以ってして考えるに至るのです。読者である我々も同じです。

答えはそれぞれかもしれません。

今はもう…父親であるブルースにしかわからない事です。

ただアリソンの答えは出ています。

その答えは是非、あなたの目で確かめるべきです。

 

『まとめ』

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。毛色がいつもとは違いますが如何でしたでしょうか。

 

「ファン・ホーム」のミュージカル。正直、原作を読んだ段階では全く想像がつかないのです笑。どこをどうやってミュージカルに仕上げているのか。とても気になるので是非観に行かせていただきます!

 

さて、この手の話題は非常に難しいと思っています。

私の中のセクシャル・マイノリティに対する答えは非常に簡潔ですが、それが正解ではないですからね。

最近、縁があってよく新宿の2丁目に呑みに行かせていただくのですが、そこで会う方々も色々な人がいます。ただ皆さん普通の人ですよ。なにも我々と違うことはないです。ただ性の不一致があるだけで。彼ら、彼女らが生きづらい世の中がわかりません。それだけで嫌う人もわかりません。いまは昔よりは良くなったみたいですけどね。

5.60年前から、セクシャル・マイノリティが認められていた世の中であれば、「ファン・ホーム」の内容も違ったのかな、などと思ってしまうのです。

 

ではでは、今日はこのへんで。

いつも閲覧ありがとうございます。

また次回!!おたのしみに!

 

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